|
カテゴリ
つらつらつづら
日々の暮らし 人の話 モノの話 食べ物の話 くだらないことを考える。 ん、健康。<食べ物編。 さて健康。<動かす編 劇場とか博物館とか 体調のこととか 解毒の試み 本を読んでぶつぶつと。 カメラのこととか写真のこととか 出先。 どうでもいいのだが。 楽しい検索ワード特集。 検索
メモ帳
最新のコメント
|
2012年 05月 25日
![]() ここを開くとなんとなくなにも書く気がなくなり、ちょっと気分がさがるのはどうしてだろうとふと思う。 愚痴しか書いていなかったからではないか、と自分で答えてみる。 あれやこれやあったものだから これが他人であればもちろん「人間だから。」と言うけれども自分にそれを適応するとちょっとなあ。 ネットラジオは多分便利なのであろうとは思っておりましたが どうもアップルさまと感性があわなくてですね。 ポットキャストの使い方(というより iTunes の使い方)がわからなかった。 どうしても聞きたいものもあまりなく、失念しておりましたが BBCがいっぱい持ってる。これ(英語。) うーん。 英語できない私はとても聞きたいぞ。 ああ、すごい日本人ぽい思考回路。 これってやっぱり受験のときにできなかったからなのだろうなあ。 どうしてBBCかというとこれまた日本人くさくクイーンズイングリッシュに対するあこがれであろう。 (イギリスには今行きたくないしあまり好きでもない。こんなもんだ。 試行錯誤の末、持ち歩きできるように端末に入れること成功。 年寄りは新しい技術についていけなくてねえ、と逃げてみる。 (必要だと判断したものはくらいつくからかえって頭に入るし真面目にやるから実は逆についていけないくらいがちょうどよかったりして。 なに言ってるんだかわからないけれどとりあえずこれは言葉なんだな、とは認識。 意外と面白いのは、全然知らない言語(ペルシア語とか。)でやっているやつ。 言葉って面白いなあ、としみじみする。 言葉は文化の根幹だから、ほんのちょっとだけ文化に触れた気になる。不思議な感じ。 好奇心が動くのなら少し元気になってきたのだろう。 日本語のラジオですらまともに聞かないのだから内容なんて気にしておりません。 (今音楽関係をやっていてマンチェスターがどうのこうの、で懐かしい曲をやっていた。ああ20年前。 耳学問はよほど集中できる環境がないとやらない、ということはわかった。 (集中できる環境の例、具合が悪くてただひたすら寝ていて暇。こういうときこそ講演もの。そのまま寝てもいいしね。 時間がいるからね。 しかし英語の教材は随分安くなったものだ。 ほぼただだよ。 世界は変わったなあ、としみじみせざるをえない。 高かった、あれやこれや(結局身についていません。ほほ。 グローバル化? そういえばコーランでも、と思ったらなんだかイメージがインド。 私絶対間違っているぞその認識は。 というかこういうのを本当に「間違っている」というのだろうなあ。知らない、ということ。 ま、とにかくプレッシャーがない状態でなにかをやるのは楽しいです。 やらなきゃ、覚えなきゃ、文法がリーダーがどうたらこうたらは疲れました。 間違えた英単語を書きだして壁にだーっと貼り付けていた過去を思い出してはああ楽だ、と。 (あれが無駄だったとは全然思っていないのですがね。 いつまで続くのだろう、という感じです。 それにつけても日本語をきちんと、と思うのでした。 追伸 『虚構新聞』のポッドキャストがあったんですね。 どうもこの手のやつは無条件に笑ってしまって楽しくて仕方ないです。 これ(iTunes に飛びます。 持ち歩き用に入れたら真面目にこれはだめだ。 ストレスたまっているのかしら、やっぱり。 2012年 05月 12日
頭痛をかかえて行ってきました。
鮭を見るのだ、鮭を。 (それ以外のことは知らない。 「思い出した、あの鮭だ。」というフレーズでやっておりますが 正直言ってどの時代のなんの教科書(か参考書か資料)に載っていたのか、まったく思い出せません。 が、知っているこの鮭。 ああ、鮭(しつこい。 えーっと、鮭以外も面白かったです。 今回はもうあきらめて眼鏡持参なので説明文も読めました(これだけの話なんだが・・・。 この方は維新をはさんで活躍なされた方らしく 日本画のあの緻密な写実をそのまま洋画に持っていったようなイメージがあり まずは自画像とご対面からなのですが 顔のオウトツがなんていうかわかりやすいというか派手なんですね。 立体感とかそういうものが今まであまり日本画では意識されていなかったからなのか、逆にいい感じです。 意思の強い(下手するとへそ曲がりな)顔を描いていらっしゃる。 ほー。 そのあと原田直次郎 《高橋由一像》 を見て類察想像。 (この名前は覚えており、近代美術館で見た 《騎龍観音》 の作者だ。へえ、お弟子さんなんだ。ほー、っと。 油絵以前のコーナーがまずもって楽しい。 以前友達が、「日本画を描く人は江戸時代などは庭にくじゃくを飼っていた。」と言っており そのくらい写実性を重視する、いつも観察して描いているという意味だったと思いますが結構前の会話なので忘れました。 そんな話を思い出すくらいには、いい世界だなあと。 あれは「写生帖2」というやつかな、よくあるといえばよくあるのかもしれませんがなんだかここでしみじみしてしまいました。 入り口の入り口なのですが。 葉の筋、浮き上がり方、茎のごつごつした感じ、枝の伸び方、ああどうして紙の上にこんなものを筆(かペン?)で再現できるのだろう。 よく考えると人間ってすごいみたいな。 絵葉書ならあれほしかったかもしれません。 こんな感じでいちいち立ち止まりため息をつき、って感じですが 静物画が特に面白かったかな。 参-14,15 として歌川広重の絵がありまして(これはいいやり方ですよね。しみじみ見比べました。 日本画の写実性を油絵でやっちゃったみたいなイメージかしら。 《鯛図》 は絵葉書であったので二枚買ってきました(一枚は送る、残りは自分の。 いやー。 いい世界だ。 素敵だなあ。 ボキャブラリーは貧困ですが、頭に「好き」が先にあってあとから理由づけするのでやっぱりただ単に好きなんだな、と。 《桜花図》 も印象に残りました、これは私の生きている文化的風景(現代。)のせいでしょうが 私の場合、この手桶を見る場所は墓場なのです。 もう風呂場にすら手桶ないよ。 この時代は違うんだよな、と修正しつつもやっぱりあれを見ると墓参りのイメージ。 墓参りに桜の花。 んー。 描いた方が意図したものとはまったく違う受け取り方なのでしょうが、製作者と見る側の受け取り方がまったく違うのはよくある話でして これを少し遠目でつらつら眺めていると、静かなほの暗い解放感のようなものを感じて 結構好きです。 《鯛図》 にしても 《花魁》 にしてもそうですが、きれいとかおいしそうとかそういうものは追及していないらしく そこがまた私のアタマに妙な認識のずれを生むような気がする。 これはこれで(私が)楽しいのでよしとする。 鮭ですね、鮭。 鮭は三枚ででーんとありました。 結構たくさん描いていらっしゃるという解説でした。 解説を見ると、それぞれ紙、麻布、板、と描くものが違うらしい。 近寄って見ると、確かに油の乗り方が違うのね。 そうか、発色も違うんだ。 もちろん鮭の食べかけ部分?も違うし、これは面白い。 板が結構いいなー、っと。 いきなり家の壁にこれあったら楽しいだろうなあ、と現代人的な見方。 トイレの扉とかにこれがででーんと描いてあって、ふと目があうとかどんな感じだろう。密室だけにまた違うのだろうなあ。 あくまで私個人の絵を見る楽しみ方です。 そんなわけで天気もいいし面白かったのですが、やれ迷っただのやれ悲母観音さまが展示されていただのまだまだ実はあるのですがこの辺で切り上げ。 あ、《花魁》 のモデルになった方はやっぱり私はこんな顔じゃない、と泣き喚いたそうです。 書いてありました。 「そうよねえ。」との感想が聞こえてきてああそうだよな、と。 そういえば、藝大の美術館はとても礼儀正しい人が多く ちゃんと見ている人がいるな、と認識したら迂回するし(比較的すいているから? 前を横切るときはちょっとすいませんの会釈をするし 気分のよいところでした。 キャンパスは木が多く、ああいいところだなあ、と。 なんだか不思議な場所です。 縁はないが・・・。 これです。 携帯カメラ。 ![]() 2012年 05月 09日
![]() 今日も肩が痛い。 この写真の頭蓋骨の次に大きいやつが多分肩甲骨です。 うーん、すごい。 縦なんだなあ、と妙にしみじみして眺めた記憶がよみがえる。 さて曇りです。 雨が降るなあ、というのは見てわかる。 日本人の感覚はいいなあ、と思うのは古事記のはじめの部分に出てくるはらえどのおおかみさま方のところ。 はらえどのおおかみさまは、ほとんど水に関する。 水に流すというとても素敵な思考回路。 日本はいい国だ。 雨が降るたびそう思う自分は結構能天気で楽です。 (晴れたら晴れたで洗濯物が乾くなあ、と思う。これはこれで嬉しいし無意識に気分があがる。 ケガレは流せばいい。 素敵だ。 (この辺はいろいろありそうなので深入りしません。わからんしね。 最近はまた本を読み始めました。 今までずっと調子が悪く寝ていたのでほとんど耳学問でした。 身体を起こしていられるようになると、動くから耳学問は難しくなる。 ヘッドホン使って持ち歩けばいいのですが気分というものがある。 名越康文のこころカフェ、とてもいいです。 聞きこめば聞きこむほどに新しい発見(一回聞いたくらいでは頭に入らない。 ふきを買ってました。 はじめてです。 こういうときは迷わず 『はじめての台所』 を開いて見ながら処理。 塩でごろごろまな板の上を転がしてから茹でる。ほー。 でも茶色くなってしまい、あらこれってもしかして水に入れたまま保存?とあわてて戻すも色はそのまま。 物事に失敗はつきもの、というよりそういえばはるかかなたの記憶として家の冷蔵庫に水に入ったふきがあった。 こういう記憶が出てくることのほうが、失敗した落ち込みよりも強い嬉しさとして感じられて 地味なことから少しずつ上を向いてきている、と実感できてこれまた嬉しい。 人生こつこつ、積み重ね。 (いちいち台所でへこんでいたらたまったものではない。 母に聞くと「だいたい水に入ったまま売っている」のだそうで、そういうものらしい。 知らないことを知るのは楽しい。 ちなみにふきの葉を適当に加工したらこれがおいしくておいしくて感動しました。 春野菜は毒を排出してくれるそうですがそもそも今旬なのはなんだ、というところでつまづいています。 (とにかくにがくてえぐみが少しあるもの、という漠然としたイメージ。子どもは食べないわなあ。 自分が少しでも上を向くためだけに、最近は化粧をまたはじめました。 数年なにもしていなかったのであらためて、という感じです。 こういうときも、迷わず本。 自己流もいいけれど、まず基本。 基本といったって世の中に化粧法は山ほどある(多分。 図書館にて田中宥久子とかづきれいこを借りてくる。 難関はやっぱり眉。 とりあえずやってみてなんとなくわかったのはあくまで基本はかづきれいこだな、と。 四十路になりますと、リハビリメイクがやっぱりいいんです。そういうものです。 ひとつのものを信奉するのは性格的にできませんが、基本は何パターンかあったほうが楽です。 とりあえず洗面台の鏡で化粧をするのは見えない、という物理的理由から難しいので 手鏡がほしくなりました。 あとはまああるもので対処できます。 化粧をしない理由のうちに「手を出すと金がかかりそうだ」がありましたが、そんなにかかりませんでした。 良かった。 やっぱり「金かけないで手間かけろ」 by 佐伯チズ、です。 子どもの心理として、お絵かきは楽しいです。 姪っ子を見ていても楽しそうにお絵かきをしています。 化粧は感覚として顔にお絵かきなので 楽しくやっています。 しみがなんだしわがなんだうりゃーっと。 (「しみがなんぼのもんじゃい!」by 佐伯チズ、「大じわはいいけれど小じわは許さない」 by 田中宥久子、名言はいっぱいあります。記憶で書いておりますので一字一句正確ではありません。 顔が変わると気分もやっぱり変わるのでいいもんだなあ、と。 「人間はみんな死んで骨になるんだからええやんどうでも」という感じの名越さんを思い出しつつ 今日も眉と取り組みます。 なんかもうとりあえず生きていさえすればいい、になっています。 いつか死ぬからとにかく今生きよう、みたいな。 寿命までがんばって生きる、最近のキーワード?はこれ。 どうでもいいですがクリスティーナホール『言葉を変えると人生が変わる』、とてもいい本です。 まだ読み始めだけれどとても面白いです。 2012年 05月 04日
![]() ようやく外出、近所の複合施設のなかの薬局に日用品を買いに。 そこには本屋があり、ちら見。 『ねこ背は治る!』というとてもダイレクトなタイトルの本を発見。 その前に飽きもせず骨盤矯正のクッションだのを見ていたのですが(千円くらいの雑誌にくっついているやつ。 どれどれ、っと。 買いました。 一緒に空気を入れてふくらませて椅子の下にしいて云々、も買おうかと思いましたがやめて 帰ってきてだかだかと読み ある意味結構な衝撃を受けました。 「足の裏のここの部分、くるぶしの下。そう、そこ。身体が一番楽で安定しやすい重心の場所。」 そんな会話をしたのは一か月くらい前だったか、もっと前か。 常々、知ってるだけで実行しない人が多いなあと思っていました。 できること、できないこと、やりたいこと、やりたくないこと。 人によって違うしそれでいいのだろう。 そう思っていました。 これが自分である場合、自分の意思ですから(できないことはでないけれどもね。 やろうと思いたって実行すればいいのです。 ああ、かけらを知っていた。 実行する気がなかったといよりもうこの記憶を忘れていた。 でも私はちょっとだけ知っていた。 そして痛いとわめいてどうにもならぬと嘆いていた。 反省。 なにかが間違っていて、しかもそれが自分だけの話である場合はもう修正かければいいだけです。 できなければ修正をかけ続ければいい。 試行錯誤は人生につきものです。 知ってる、うんうんこうだよねああだよね、こう言ってたよね。ここのやつはこうだよね、ああだよね。 批評する前にやれ。 批評のあとでもいい、やってみろ。 これは、自分でした。 さてやるぞやるぞ。 ねこ背の話です。 いわく「骨に乗る」。 その骨がどこなのか、自分の身体のどの部分なのかがまったくわからなかった。 立体のイメージができないのです。 壊滅的にもう人体の中身を知らないのでイメージができない。 この本のとてもいいところは、ひざで立つ。これです。 イメージがなんとなくできます。 素敵。 しかも足の裏のここ、というポイントがとてもわかりやすく これは私が試行錯誤して一生懸命イメージしようとしてできなかったもの。 (ちょっとSF的なイメージを一生懸命していた。 さて。 大腿骨に乗るのはなんとなくわかった。 坐骨、これはわからない。 どこだ。 肉があるから骨わからないよー。 これかしら、違うのかしら、えーっとえーっと。 今はとりあえずこのあたりです。 肩甲骨を意識する、全然できません。 日常生活のなかで常になにかを念頭に置くのはちょっときつい。 はじめだけで適当に体感したらあとは意識しなくて済むと思いますが まずは自分に教える必要がある。 (というより今立つ姿勢と座る姿勢で躓いているのでそこまで意識がまわらない、というのが大きいかな。 本の批評なんぞあと。 いきなり全部を把握する必要のあるものとないものがある。 (著者はかなり苦労したのであろうなあ、ということは想像に難くないが・・・。 本を買ってきて読み飛ばしたのが昨日の夜で もともと痛くてどうにもならなかったのは頭、背中、肩(身体の表面。ありがたいことにあまり奥に入って行かない。 背中痛いですよー。ええ。 あとは腰が結構きたかな。 もともと筋肉ないんだからこの姿勢を保つにはちょっと頑張ってもらわなければならない。 反動はつきもの。 大腿骨に乗る、坐骨に乗る これだけでも結構効いているような感じがとてもいたします。 痛いところが変わるってわりとポイント。 今も気が付くと前のめりですが、その都度修正。 書き物ができない、ということがとても大きな悩み?でした。 これはいけるかも。 寝る前に思い出したのですが 綺麗な字の書き方よりもものを書くときの姿勢を教えてくれ、綺麗でなくていいからとにかく解読可能な字の書き方。 なぞるものよりもまずはペンの持ち方、角度、テーブルの位置、どうやって座るのか・・・ なんかもう書いていてばーかばーかとか言いたくなります。 地味に坐骨に乗り続けます。 完全に間違っていることはわかっておりました。 ペンの持ち方の角度は60度、とペン習字の本(図書館でちら見。)に書いてあり 自分でチェックしてみたら私ときたら、130度くらいだった(アバウトです。90度はこえている。身体を覆いかぶせるとそういう角度になります。 こんな私は小学生のときの話ですが、そういえば習字六段ペン習字5級でした。 この話は今有効なのかまったくわかりませんが 私の字を知っている人にいうと妙に納得されます(字が読めなさすぎて。 動いているときはどうするのかしら。 それはあと。 ゆっくりやる。 両手の届く範囲でこつこつ(でもこれって常に気を付けていないとすぐ忘れる・・・。 ちなみに大腿骨にのると、なるほど立ったまま休めます。 横にしておくしかないと思っていたこの身体。 帯に「目からウロコ!」と書いてありますが私に限ってはこれはその通りです。 (帯は著者でなく出版の側が書くそうだが。 足がみぞおちから、というのはわかりません。 みぞおちがどこなのかわからないからです。 大腰筋というのもわかりません。 これは、どこについているの? 太ももの裏?表?背骨のどこにくっついているの? ああ、解剖図プリーズ。 ぐだぐだ言ってないでこつこつ。 (でももう疲れた・・・。 なるほど、気が急いてくるとものすごく前傾になります。 精神修行だな。 うむ。 というわけで直観的にとてもいい本です。 2012年 04月 28日
![]() 流しの廃品回収車の録音音声をよく聞く。 「ご家庭でご不用になりました、テレビ、なんたらかんたら・・・・」 今さっき通ったやつはミシンが目玉らしく(そこしか聞いていなかった可能性もあり。 無料で、と珍しく言っていた。 ミシンは外にもっていくと売れるからねえ、とこれは一昔前の常識か? ミニコンポ。アンプ、音楽製品・・・ うんうん、困る困る。 捨てるのなんとなく大変。 相手を見て積み込み料だ、とふっかけてくる業者が結構いて怖くて声をかけられないという話はよく聞く。 呼び止めたことはないが まあいろんな録音があって面白いといえば面白い。 若い女性の声、舌っ足らずの感じ これはなんとなく安心感というよりはあからさまになにかを狙っている。 通り過ぎたあと。ちょっとおじさん世代の話し声が先日聞こえた。 「本当にがっかりしちゃいますよね」 同意の笑い声。 多分うら若きかわいらしい女性の声にやっぱり期待してしまう、でも運転手はおじさん、という現実に対してなのだろうなあ、と。 それからなんとなく聞くようになった。 本当にいろんなバージョンがある。 中身は対して変わらない。 声の主である。 これはバイトが吹き込んでいるのかしら。 先日のやつは、ちょっと年配の女性が頑張って台本を読んでいる感じのやつ。 「プレイステーション」という単語が苦しそうだった。 演出なのだろうが、一生懸命で素人ぽい棒読みが微笑みを誘う。 「これ、ずっと家にあるんですけれど困っているのよね、ほほほ・・・」 みたいな文句が続きそうなイメージ。 同じく年配の男性の声。 これはなんとなくどっしりして信頼感のイメージ。 ぼったくりません、誠実ですというアピールのような感がある。 録音なのはわかりきっているからまあそんなに期待もしないだろうが つい音からイメージしてしまうのは、人間のもともと持っている力のようなもので 商売人もいろいろ考えるものだ、と尊敬してしまう。 年配の女性には引っ越しは頼めないだろうが多分男性がきてやってくれるのだろう、くらいの想像力はあるし でもはじめのイメージでひっかっける(もうこれは思いつきだからして。本気で困ったら業者を呼ぶなり自治体の粗大ごみに出すなりなんなりする。 お土地柄も考慮するのだろうか。 引っ越しのときに全部捨てていきたい、となると確かに自分で全部運びだすのはつらい。 実家を思い出すと、使っていないというより壊れた冷蔵庫がある。 これは私たちでは外に出すことはできない。 しかし、家に知らない人を入れるのはいやだという日本的な嫌悪感がしっかりある。 そういうときに安心のイメージを持った声が通り過ぎると もれなくお願いするのかもしれない。 お、そういえば使わないオーディオセットもあるしコンポもあるぞ。 建ってかなり長いものなあ。 窓口は女性のほうが安心感というイメージはでるかもしれない。 そして実際家のなかでどうしようかしら、と困っている人たちももしかしたら女性が多いのだろう。 てきぱき手配ができる方々は多分この車を使わない。 自分で業者を探して手配して都合のいいときに呼ぶだろう。 (思い立ったらすぐ行動、のタイプはかえって使うかもしれない。あー、これ邪魔きいいい!今すぐ捨てる!とか。 そんなことを考えつつぼーっとしていたらまた通ったのでちょっと上から見てみたら 小さいボックスカーというのか、そのようなものでとろとろ走っていた。 小さいものならその場で、という感じか。 あれは受付が回っているのかしら。 ネットの広告や郵便受けに入っているチラシのような存在か。 それにしても業者の名前を言わないので不気味である。 なんにせよ、捨てることにお金がかかることが常識となりつつある今 とにかくものを増やすのはあまりよくない考えてから、という思考回路に入るのは仕方ないだろう。 そういえば以前、友達との片づけ会話のなかで聞いた話で 彼女はこの流しの廃品回収車を利用(というのか?)したことがあるそうだ。 捨てたくて仕方なかったときに追いかけていって呼び止めて(根性だ。これができない。 あとから来てもらった、といっていた。 素直に「それって怖くないのか?」と聞いたら「普通」だそう。 ふーん。 というどうでもいい想像でした。 頼まないだろうなあ・・・。 もっとどうでもいいことに、ホームベーカリーそういえばはじめてのフランスパンコースなのに ぼーっとしていたらタイム(ハーブです。)をどかっと投入してしまい。 なんだか微妙なものができあがるのだなあ、と今からちょっとダークです。 いやいや、今の季節にタイムは防カビとしていいかも? もちあげてみるも、ダークダーク。 2012年 04月 27日
![]() ちょっと旅行に行きました。 少々の無理は承知でしたが、「少々」じゃなかったらしい。 非常に得るものの多い旅でした、 当然のようにおまけがどっさりきました。 反動はつきもの。 得るものが精神的なものであれば、多少心身が疲労しても帳尻はあう。 と、思ってはみたものの。 口をきくことすらきつくなるのははじめてかもしれない。 わりと笑っていたんですけれども 疲れは疲れ、どうも肉体と気持ちには時間差のようなずれがあるようです。 この笑いは、防御の笑い。 やっとPCなぞ打つ気になったのでぐだぐだ日記とあいなります。 この時期は自律神経がただでさえ乱れやすいそうで 気温差、天気の移り変わり、その他もろもろなんでしょうね。 身体は外界との調整が効かなくなると結構崩れるのですが この時期は人によって違うのでしょうね。 梅雨が苦手、冬が苦手、夏が、秋が、春が、・・・・。 (あとはなんだクリスマスがとかはないのだろうなあ。正月とかはありそうだなあ。これは気候でなく文化的なものだよね。 年をとればとるほどにバランスが要求されます。 特に身体レベルでできないときつくなっていきます。 痛くない、という状態はどうも「普通」であるらしく あまり意識しない。 良くなった、ありがとう。 とはじめから感謝をすることは難しく、やっぱり痛んではじめて意識する。 繰り返すと良くなったことに対して気づくようになる。 今日は昨日よりいい。 ありがたい。 がんばれ、私の身体。 ってなもんです。 夢のなかで妙に「トイレに行きたい。」と思ったりすると実際の身体の尿意だったりする。 それと同じで 夢のなかから頭痛がひどく、起きたら真面目に痛かった。 へこみます。 最近やっと起きたら少しはすっきりするようになったので あら本当にあまりよくないのね、と逆にわかるというか。 さすがに本当にダメだな、というラインはあるのです。 気力も体力もないととにかくごろごろなのですが ある程度、治りかけてくると私は気力のほうが先に復活するらしく このなにもしない状況に、飽きるらしい。 飽きたらどうするか、というとどうも微熱を出すらしい。 「体調が悪くて休んでいる」ことへの反発として「微熱」って逆効果だよね・・・とは思うものの 最近観察していると、どうもそうらしい。 脳みそのやり方は、謎です。 脳みその省エネというか非常停止に近い状態はもうどうしようもなく ああ、だめだ頭が動いていないと自分でわかります。 (傍から見るとちょっとアブナイ人とか近寄らないほうがいい人状態です、多分。 思考回路停止のひどいやつ。 今自分がいる文脈すら理解できず こういうときはもうできるだけ早くその場から撤退。 これを個人的に「脳みそに強制終了がかかった。」と言っています。よくあります。 たとえば嫌いな経済とか数学とか科学とかの話をされたとき。本当に言葉が意味を成さない。単語を理解しようともしていない。 再起動をかけるには睡眠か、せめて横になって脳みそ休める、です。 思い出すのは、ドラえもんのワンシーン、のび太がお母さんからお説教されている。 お母さんがみがみ、のび太違うことを考えている、「のびちゃん聞いているの!」とお母さんがまた怒る・・・。 ああ、のび太は面倒だから聞いていないのかもしれないけれど これが今の私であれば 言葉が宇宙語みたいになって音は聞こえているかもしれないけれど意味はわからないだろうなあ、と。 疲労疲労。 うん、疲労。 肉体疲労はいつか治るさ(多分。 昔は精神疲労で肉体を壊していましたが、少なくとも今は肉体疲労のほうが強いらしいです。 これはよいこと。 なのでもうちょっとごろごろ。 書いていてなんだか妙な話になってしまったと今さらながら気づきました。 えーっと。 少し横になろう・・・・。 はやく鎮痛剤とおさらばして散歩にでも行きたいなーっと。 2012年 04月 18日
さてはて感想文。
この感想文はいつも展示物一覧を見ながら、思い出しながら書いているのですが、今回はそもそも一覧がないそうだ。 そういうもんかね。 まあいいや。 監修が、どうも日本の方でないらしく(名前は日本人だったが活動拠点はもう海外。 その手の研究者筋だろうなあ、と思うような人の割合がとても高かった。 やっぱり向こうに行かないと見れないからだろうね、と友人とあとで会話しつつ。 とりあえず会場を離れないと口がきけないのでぼーっとしつつ離れる。 煙草吸ってたら雷がものすごい音で鳴り始めてちと怖かった。 いきなり、スペースは暗い。 空間全体を使う演出というか、なんだか最近こういうものはご無沙汰していたし国立博物館に慣れているのでああやっぱり違うんだな、と。 相変わらず眼鏡なしで行っちゃったからあまり文字は読んでおらず、映像関係も飛ばした。 なのでそんなに頭にそもそも入っていないだろうが、まあ野次馬なのでいいのです。 展示物はそんなに多くない。 国立博物館平成館ならこの三倍だなあ、とまた思いつつも少し体調を崩し気味のリハビリのつもりだったので私にはちょうどいい。 土器、石、埋葬品、日用品。 ふんふん、と 貫頭衣は基本だよね、とか思いつつ埋葬品の人形さん?を眺めながらああ着物と同じ、やっぱり巻きつけるんだよね、とか。 しかしまあ随分と色が残っているものだ。 赤がすごい。 やっぱりこういうものは赤だよね、と納得しつつ(呪とか祈とかとは切り離せない色だしなによりやっぱり血の色なのかなあ。 ふふんふんふんっ、ふむふむっと。 あちこち感心しつつやっぱりミイラだよね・・・。 以前からなんとなく思っているのは、人間はミイラが好き。 死といういものは生きている人間にはわからないしどうしたって怖い。根源的な恐怖心。 同時に怖いもの見たさなのか怖いから先に見ておいて心の準備でもするのか、とにかく好奇心。 わりかし空いている博物館なんかでも、やっぱりこういうものの前には人がたまっていたりする。 今回も、うしろのほうから声。 「あそこだけものすごい人だかりで、動かないのよね、なにかしら。」 「あ、ミイラね。それでなのね。」 というなんだかこれだけで納得できるくらいには多分目玉。 (声の主は私よりは年配の女性たち。 もちろん私も友人には「ミイラがくるよ、行こう。」と声をかけたくらいだからして例外ではない。 畏れと恐怖と、好奇心。 さすがに解説の音声を流していて、ありがたく拝聴。 (これがなかったら結構怖いかもしれない。 えーっと。 これが生贄とかでなくてよかったとなんだかとても素直に思いました。 そもそも屈葬に近い感じらしく、袋に収めるような形でこうなっているらしいです。 見たときに違うよね、違うよね、と多分心の底で思っていました。 そのくらい、保存状態?がいいです。 あとは貫頭衣が小さいように思ったので、逆にあら体格いいのね、とかなんか間抜けな感想。 死、というものに結構振り回されていた過去は私のなかで生きているようです。 人間としてのおもいと、そういうものを客観的に眺める、というスタンスは微妙にまざるようなまざらないようなわけのわからない感覚。 (書いている本人がわからないんだから全然わからないと思います。思い出しては元気かなあ、とまたわけのわからないことを言ってみたり。 研究者さんたちはもちろんこれをクリアしているのでしょう。 わざわざ見に行ったわけですから、あとでぼけーっとなるのはいいのです。 通路があって、壁に映像が流れいる。 これは、なんだ。 戦の演出。 普通にそこを抜けるのに10秒もかからないであろう空間で、スペインがきたという時間の流れを作っており、ああうまいなあと妙に感心。 明るいスペースにでてのんきに土産物やなど見つつ 感想を書いた紙がだーっと壁に貼ってあるのですが、この紙の上には「研究発表」と書いてあり、またうまいなあ、と。 楽しく眺めさせていただきました。 特に小学生くらいのお子さんはやっぱりいろんなとを考えるのね。 興味深く、楽しかったです。 研究結果というよりあらためてこれを見た上での研究テーマとでもいうようなもの。 こういうやる気の起こさせ方は、やっぱりいいなあ。 追及する気があったら追及してくれい。 そんなわけで改めて今パンフレットを見たら、本文をまったく読んでいないのでどういう構成だったのかが書いてあってほー、と。 そういややたら杯が多かったけどあれはポイントだったのか、とかなんだか間抜けなことを今知りました。 薀蓄はあったほうが楽しいけれど、なくてもそれなりに楽しいです。はい。 そんなこんなでそのあとずっと友達と妙な話をしていたのは、やっぱりこの流れのなかだったのだろうか。 なにはともあれ付き合ってくれてありがとう、なのでした。 p。s。 すいません、「研究発表」だったか「研究結果」だったか、はたまたちがうのか、そういえば忘れました。
|